2015年4月16日
数日前、友人と岡山に出かけました。
大阪から岡山は車で2時間半ほどかかります。
それを、遠いと感じる方もいらっしゃれば
それくらいで出かけられるのね。と思う方もいるでしょう。
時間や距離の価値観は人それぞれあるものですが、
私には遠いとも思う距離ではないものの
それでも、なにか目的がなければ
やはり出かけられない距離です。
その目的とは
仕事じゃないと行動できない人もいれば
誰かの為にじゃないと動けない人もいます。
そんな部分も個性や価値観は人それぞれですね。
今回の目的はムーミン展がひとつの目的です。
そして気ままな一人旅ではなく
いつも、長時間語り合うことが出来るお友達との女子二人旅
腰を下ろしてしまうと語り合ってしまう二人です。
いつもは、ランチやお茶だけで数時間が流れて
気がつけば日が暮れています。
きっと何を話すの?と思うだろうけど
もちろん最近起きた身の回りの報告もですが
自分の感情や考えなどよくわからないけど奥深いです。
悪口や陰口ではなく1+1=2があるとするなら
2なのは何故かな?1は本当は1なのかな?
その1はマイナス1じゃないかな?
いやいや、上から見たらね。
どれも1じゃなくて点だよ。
言葉には出来ないけど、
そんな視点を変えた語り合いのような気がします。
(ヒトコトでは言えない会話してます(笑))
とにかく、身の回りに起きる些細な事を
時間軸も考えながらの「だからこうしてきた。」
「だからこうしないと危険だからさ〜」
とにかく、未来を考えての言葉も多ければ
今の姿は、やはり過去に戻って受け入れる話などなど。
そんな時間が続く関係性のある友人です。
(ちょっと、違う脳を使うのかもしれませんが哲学的でもある)
そんな友人と、旅行?
もちろんお互い待っている人がいるので日帰りですが…。
(私は犬:タヌキ)
ムーミン展を見ながらもやはり語る内容は
考え深いです。
子供の頃のムーミンのイメージを語り合ったり
この大人になり、ムーミンが100年と語り継がれる意味や理由。
作家のこころのゆくえ
などにも共感したり探ったり。
(心理学的でもあり哲学的でもある)
原画展なので、キャラクターと言えども生々しいです。
有名画家と同じように
作者の生い立ちや環境も詳しく説明されていました。
何よりも、自分が気付く部分と
一緒に出かけた友人との共通点もあれば
違う視点の気付きも分かち合えます。
「ここってどうなの?」そう言われて改めて気がつく視点。
「本当だ!」と思い、ドキッとしてみたり。
一人で美術館賞をしてきましたが、
イタリアの時もそうですが、本当にその作品が好きな人との鑑賞は
意見を聞くことが出来て数倍学びがあるようにも思えました。
一人なら気が付かなかっただろう。
そう思うムーミン展でした。
(イタリアの時などは、とんでもなく詳しい友人なのでびっくり)
改めて、一人で出かける美術館賞も素敵です。
しかし、お友達との美術館賞も違う感覚で素敵なのも知りました。
今までは、誰かと出かけてきましたが…。
もしかしたら、
鑑賞の仕方が違うのかもしれませんね。
この年令になると、
共通の価値観や趣味などの出会いは嬉しく思います。
若い時には、やはり
私も回りもどことなく合わせてしまう部分があるものですが、
その合わせてみることでも発見があったりもしました。
しかし
ある程度、自分の価値観や姿勢や好みが決まっている場合は
様々な関係性も選択しつつ共有時間を使う関係性に
なってゆくのかもしれませんね。
お互いが快適な時間を過ごせたらと思うからでしょうか?
個性のある人こそ、学び合える関係性がありがたく大切に思えますね。
それと同時に、友人や知人は自分が変化すれば
周りも変化するか、はたまた違う誰かに変わる。
自分の変化で友人知人はシャッフルタイムってあるよね。
先生の「席替えです!」みたいな感じかな?
隣の人にめちゃ意識して気になるみたいな。(笑)
子供の時は強制の席替えですが、
大人になると意識して見つめないと
お互い快適ではない関係になるのかもしれませんね。
倉敷編つづく…。
2015年4月16日
ムーミン展の後、すでに1時半を回っていました。
お昼ごはんを食べていません。
そう。この知らない土地で食べる場所を
リサーチしなくてはいけないのです。
そんな時は、デカになる。
そう。聞き込みです。(^^)
実は、その聞き込みにはいくつかのコツが有ります。
その土地の人で、話すことが苦手じゃない人を選びます。
そして、挨拶を丁寧にして聞き込みをする。
「食べる場所はありませんか?」
ココの串カツ屋さんと、イタリアンと、ラーメン屋さんと…。
美術館の案内人は親切に地図を出して説明をして貰えました。
いい人との関わりは嬉しくなります。
お礼をしっかり伝えて
美術館を出て歩き出すと…。
串かつはなぁ〜と思っていたのですが、
何だかオシャレで、人も入っていきます。
結局決めると、やはり(@@;)おいしい!
お米?ご飯も美味しいし、串あげ?も美味しいのです。
それでいて、880円だったかな?
久しぶりにヒットです。
やはり口コミははずさないなぁ〜
私も、友人も、「なんでもいいよ〜」の人なので
聞き込みはとても助かります。
実は聞き込みはもう一人していました。
「岡山に来たら、観光は何処をお薦めますか?」
やはり「倉敷の美観地区は行かれるといいですよ。」とのこと
美術に興味があれば、ぜひ大原美術館へとの話でした。
モネもありますし!と…。
友人は絵画に興味あるのかな?わからないなぁ〜
美観地区ですか?
この言葉を知らなかったので
検索して向かうことになりました。
その後、40分ほど車を走らせると倉敷です。
実はムーミンだけでお腹いっぱいの1日でしたが、
せっかく来たので軽く立ち寄ろう!な気持ちでした。
倉敷に入ると川があり、舟が…。
「あ!角隠しをしている花嫁さんだ!」
なんかいい情景です。
ショップもオシャレで、1件1件立ち寄ると
時間がどんどん過ぎてゆきます。
何だかよくわからないけど、古い建物に入ると
そこは舟の切符売り場でした。
500円。
え〜?500円なの?
価値観が安く感じてしまい、想い出に乗ろう!と決めました。
(勝手に決めてしまったかも)
10分後の乗船でした。
舟からの景色は又違います。
舟を操作するお父さんに「何年ほどされているのですか?」と聞き込み開始。
「私はまだ7年だよ」といったような気がする。
今日は風が強いから大変とか、
そこから1本の棒で漕いだりしながら
Uターンをして川をゆっくり動き始めました。
この町並みは…。
この石橋は…。
この倉敷が戦争を免れた理由は…。
この建物は蔵で…。
500円以上の価値あるお話を
しっかり楽しく聞いていて
デジカメで収めるのを忘れてしまいました。
そしてココが大原美術館で、この前の橋に天皇がどうの。
橋には掘られている龍がいて…その龍が…。
話が長くなるので興味がある方はぜひ、
倉敷の舟に乗船してみてください。
素敵なお父さんのお話もお聞きすることが出来ますよ。
実は倉敷は2度めです。
しかし、不思議なものでただ歩いただけの記憶しかありません。
当時は風情を感じられるこころはありませんでした。
ふーん。綺麗だな。ぐらいの子供でした。
もちろん、聞き込みもしていませんし、舟にも乗っていません。
そんな過去の自分の姿のこころは、楽しんでいない自分を感じられました。
ただ観光して存在している自分でした。
記憶というものは曖昧でもあり、それでいて大切なモノです。
きっと私は、今回の倉敷は舟に乗ったことだけは
忘れないだろうと断言できます。
なぜなら見た景色とお父さんの話にワクワクしたからです。
その後、
大原美術館の閉館残り1時間にも関わらず
慌てて猛ダッシュで拝観したのは言うまでもありません。
この美術館の存在で焼け野原にならなかったそうです。
歴史ある美術品、骨董品は守り守られ歴史に残ってゆくんですね。
そんなことを思いつつ…
歴史といえば、姫路城?
日もくれる高速を飛ばしつつ
帰りの高速で途中下車です。
暗闇にそびえ立つ姫路城!
真っ白な姫路城を見上げて…。
大きなものを作ったものだなぁ〜と
二人で無言で見上げていました。
私の目には、出来上がるまでの村人の様子や
建築中の様子などが妄想でイメージされて殿様って
きっと、町人の気持ちや村人の気持ちとはかけ離れた
暮らしなのだろうな。とか
権力と財力の象徴というか…。
そして今も残る歴史。
出来事はどうかわからないけど、明らかにわかることがある。
これを作ると言い出した人がいて、
デザインを考え多くの人の手で作られた事実です。
その部分だけは絵画も名所も含めて
今も残る理由があるような気がします。
良くも悪くも、歴史をしっかり感じる情景に出会った1日でした。
美味しい場所を教えていただいた館内の方、2名
舟の操縦のお父さんと共に
1日同行の時間の共有を楽しく出来た友人に感謝です。
このブログに最後まで目を通して頂きました皆様にも心より感謝です。
2015年4月9日
先日、大学入学式と高校入学式に出かけました。
娘の時ももちろん参加しましたが、
今回は知人の息子さんの入学式でした。
不思議なもので、娘の時とはやはり感じ方は違います。
学校の重要性というのか?
自分自身が他人だからこそ
客観的に学ぶことに関して
大切さをしみじみと実感します。
その中で
深く生徒の気持ちになってみたり
(今の自分なら…過去の自分なら…)
親の気持ちになってみたり
(合格して無事にと…息子なら…)
運営?教育者の気持ちになってみたり
(未来に大切な子供達を預かるとは…)
気がつけば
様々な視点で見つめられる
この年令なのかもしれません。
心理は奥深いですね。(笑)
実際に自分自身の過去は
学業や学びの大切さがわからないまま
10代があっという間に過ぎ去っていました。
後から必要に迫られたものから
勉強していましたが
学びは終わること無く
今も学びたいジャンルは次から次に出てきます。
良く、「死ぬまで学び」と耳にしますが
まさにこのことです。
(ネットや書籍さえ手に入ればなんでも学べます。)
そして
本来、高校選択するときでさえ
興味のあるジャンルがあれば
誰も迷うこともなかったのだろうけど…と思う。
子供達は未来に対して不安の中で
何がしたいのか?何に興味が有るのか?
まだ不安定の中で
選択しているだろうなと感じられます。
実際、この年令でさえも未来に不安はあるものの
10代の私の人生が予測できたわけではないので
もしも今の自分が過去の自分に会えるなら
様々なことを伝えたいものです。
タイムマシーンが無いので無理ですが…(笑)
話は戻りますが、
学ぶと言えば
記憶すると捉えるかもしれませんね。
私の中では日常にもあるように思います。
なにか気になって検索する。
すると何かを知る事になる。
それすら学びだと思っています。
気になるから出かける。
現地に行って何かを感じる。
それも社会見学であり学びの1つ。
人と関わり
人から学び
人に尋ねて
人に答えて
人と協力して
一人から二人を知り学ぶ。
同姓と関わり
異性と関わり
目上の人との関わりや
後輩と関わり
円滑になればなるほど
社会に適用する能力で
それも又、学ぶことのような気がします。
結局、人生の学びは
様々なジャンルがあり終わらない。
若い時に、はやく
学ぶことが楽しく受け入れられ
それがとても大切で面白いことだと受け入れられたならと思う。
私もですが時には学ぶことは
苦痛や苦手な部分をイメージします。
しかし実は、学ぶことは興味が有ることさえ見つけたなら
めちゃくちゃ楽しく大切な時間が過ごせるような気もします。
15歳ぐらいの私の記憶は
未来が怖くて何も考えず
学ぶことも出来ずただ生きていた時間だったなと
反省しながらの式を眺めていました。
私も無駄のないように、
何かをいつまでも学び続けなくちゃと思う
そんな式の様子でした。
目標を持っている子は
やはり目が輝いていますね。
元気を貰ったような気がしました。
それは、目標を持つ
大切さなのかもしれません。