2014年6月16日
夏に向けてゴーヤがどんどん伸びてきました。
細いツルが長く伸びてつかまる場所を探すゴーヤの苗です。
この姿を見ても昨日の学生と重ねてしまいます。
先日、京都産業大学へお邪魔しました。
友人の息子さんの進学に向けての見学です。
それに、関係ない私もくっついていきました。
厄介なおばさんです。
しかし私は大学フェチと言いましょうか大好きなんです。
学ぶ場所だからでしょうか?
とても神聖な空間に感じるのです。
もちろん図書館や、本屋さんも同じ感じがします。
学ぶ人が集まるからでしょうか?
在学中の先輩の大学生が
案内をしていたりお手伝いをしています。
そして、見学の人達はまだ受験前でピリピリしています。
中にはもう決まっているのか?
爽やかな子達もいます。
九州鹿児島からここに在学の女の子や
大阪市内から通う男の子の話を聞いていました。
4期生で、就職が決まった学生君とも話が出来ました。
それでも
この子達は、人生のまだまだ始まりに過ぎない場所にいます。
大学に入っても勉学をこなし卒業。
卒業しても就活という壁も待っている。
社会に出るには学ぶことはまだまだ沢山あり
しかしこんな青春の集団空間での
ひとときも必要な時間でもあるとも私は感じます。
そう思うのは
このゴーヤの苗を見ても感じずにはいられないのです。
今、このゴーヤはこれから起こる暑い日差しに向けて
何処につるを伸ばしてゆくかを模索している。
そしてつるを伸ばし、触れたところに絡み
しっかりと引き寄せる。
自分の身を固定するために…。
時々、そちらは手を伸ばしてもなにもないよ!と
伝えたくなることがある。
ついつい、ツルを動かしてもまた、
違う方向を探しだしている。
10年以上前の記憶も蘇ります。
高校生が退学か?休学か?でちょっと間に入ったことがありました。
(困っているのでなんとかならないか?と言われて…)
男の子はもちろん高校に残りたいという。
しかし、学校側は厄介な子はすぐ弾こうとします。
内容は本当に大したことがない内容なので省略
当時、どちらの意見もわかるのですが、
なぜ大人は、子供の将来を1番で考えないのか?と
残念に思った事がありました。
高校にせっかく入ったのなら、
大人達は特別な問題以外は
卒業できるように支持してほしいと思う出来事でした。
大の大人が、校長も含めて10人ほど集まり親子に圧力がありました。
私はもちろん子供の見方です。
しかし、その立場では問題は解決しないのです。
はっきり、私の立場はどちら側でもないことを示して
こうあるべきではないですか?とお話をしました。
謝罪するべきところはお互い謝罪に
持ち込むのが私の目的でした。
もちろん、この問題は解決をして
数年後、無事に卒業出来ました。
学ぶ場所とはどうあるべきか?と
子供達に社会にでる前に教えなくてはいけないこととは
1プラス1が2であることばかりではなく
もっと沢山のことがあるのではないかといつも思う中
大人がどうしても自分を守り子供の将来を見ないでいると又問題は起きます。
そんな気持ちを初心に返してくれる場所でもあるのが大学です。
小学や中学、高校もありますが、どうしても個性ではない教育に近いので
私はジャンルを絞った学科がある大学や専門学校に
自由や個性も感じ大好きです。
だからこそ大学が好きなのかもしれません。
単位がとれなければ、卒業できない
単位が取れたら卒業できる。
行く、行かないは自己責任でもある。
特別な課題授業もあったり、
大学では有名な人のトークも聞ける。
特別講師で有名な人がやってくる大学もある。
目の前で感じることはとても良いと思うからこそだが、
そこには同じジャンルの興味がある人が集まるから
ライバルでもあるけど対話の共感するジャンルもある。
しかし、何よりもコミニュケーション力は大学でも
ないよりはあったほうが良い。
楽しんだ時間を過ごすか?楽しくない時間を過ごすか?の選択も
考え方も同じように広がっているからこそなのかもしれませんね。
大学は未来の日本への繋がりを感じるからでしょうか?
教育の内容も含めて教育者のあり方も大人としてのあり方も
見つめなおす瞬間のある大学空間がいつも神聖に感じてしまいます。
そう。このゴーヤが
なぜか?学生に見えるのでした。
花を咲かす前の苗
実を付ける前の苗
何処に苗をおいて何処を目指すか?で
この夏の暑さや雷雨や、強風を乗りきれるのか?になります。
若い人たちへ何を伝えられるのだろう?
そういつも想いつつゴーヤを見つめている昼下がりでした。
2014年6月13日
私の知り合いで
母と息子さんで暮らしている友人がいます。
先週かな?
その友人とお茶を飲みながらのお話がとても印象的でした。
ピンポーンと誰かが来たとします。
すると、息子さんは必ず側に来るというのです。
夜などは、木刀を持って隠れて立っているとか…。
それがいつものことなので
友人は気にしていなかったようです。
しかし私からしたら羨ましくもあり
「それって、守ってるじゃん!」と
ほほえましい光景に私には感じました。
友人は「そうなの?」ぐらいな感じでしたが
それっていいなぁ〜
親子の絆みたいな部分にも触れたり
息子っていいなぁ〜
いやいや、それはオスの本能なのかな?
とも思ったり。
とある、もう一人の友人で親子で暮らす息子さんも・・・
(お母さんと息子さん)
私に対して心配してくれたことがありました。
1年ほど前です。
何かの集まりで、そのお母さんと息子さんも来ていました。
私がふらふらと、そこで仲良くなった人と話していて、
カフェに誘われて出かけると…
その息子さんは、
「ちょっと!田中さん。大丈夫?」とお母さんに言ったそうです。
後で息子さんが心配していた事を耳にしました。
その時も、なんて優しい息子さんに育っているんだろう。
息子ってそんなものなのかな?とも思うと同時に
オスの本能もあるのかな?とも思うのでした。
私には息子はいませんが
男性のお友達はいます。
しかし、よ〜く考えても…(過去歴)
心配してくれていた人っていたかな?
自分勝手な人が多かったような…
色々振り返ります。
夜、お出かけに外へ出ても
知っているオスは心配していなかった様な。
きっと、私は大丈夫な人に見えるのかな?
確かに背がでかいけど…
などと記憶をさかのぼったり…。
そう。
オスといえば…
ワンコがオスです。
人間ではありませんが…
現在ピンポーンで妙に吠えます。
微妙な物音でも敏感に吠えて知らせます。
その割には地震には気が付きません。
そして、最近になって気がつくのは、
私を監視しているということ。
遠くから監視していて、ついて来ているということです。
デスクに座れば後ろのベッド
ソファーに座れば隣に
ソファーで横になればお腹や肩に…
シャワーをしていてもドアの前ではないけど
出入口が見える離れたところで見ています。
ベランダに出て、草木に花を、洗濯を干してもです。
一緒に出てきて離れています。
バタバタ動く時は、ベランダに出て、
網戸越しからじっと見ています。
4年にして様々なことに気がつくのは
部屋の広さにも関係しているのかもしれません。
最近、又広くなったから…
そして環境が変わったことにも影響しているかもしれません。
とにかく私が一人の時はついて回る。
でも、足元ではないから
気がつくのに遅かったかもしれません。
しかし、ワンコ友達やワンコが来ると…
私の膝の上か?はたまた見えない場所へ移動します。
隣の部屋か、ベランダの奥の角です。
友人に見てもらい、コンビニに入ったら…
目でずっと追いかけていたと耳にしました。
そんな話も、
自分が見えないところでの様子は
聞いて知る部分でした。
犬って?ん?
犬なのかな?オスの習性と犬って似てる?
いや、男性と犬を一緒にしたら失礼ですが…
女性を守る。そんな姿はなんだか嬉しくもあり
ありがたい事だと最近感じます。
守ってやっているのではなく
その守ってる姿が感じられる些細な姿が
心にぐっと来ますね。
実は当たり前の毎日にはあるのかもしれないけど
見えない、気がつかないだけなのかもしれません。
そんな見えない部分は
時には人と話をしていて気がつくことってありますよね。
最近、友達との話はそんな気づくことばかりです。
守られてるってありがたいですね。
夜の公園散歩でも
知り合いのワンコ散歩の
男性がいると安心したりもします。
不思議なものです。
何も無いけど男性の存在感。
オスの役割っていろいろあるような気がします。
2014年6月9日
19年前、私は豊橋で暮らしていました。
4階のマンションで眠っていて
早朝、長い揺れで目が覚めました。
そのまま気になって眠れず
TVを点けて
映像に驚いた記憶があります。
しかしその映像は
どんどんと恐ろしい物となり
目を背けた記憶が…
そう。
子供がまだ小さかった時でした。
当時は何も変わりなく
こちらでは生活を送っていました。
死者の数がどんどん増える中
大自然の恐ろしさを実感するのでした。
先日
淡路島に出かけました。
目的は航空ラジコンでの競技を競う大会を観戦でした。
(空をとぶものが好き)
淡路島の美しい橋を渡り
高速を降りると
北淡震災記念博物館の看板が目に飛び込みました。
午前中のほんの少しは目的を終わらせて
興味は博物館です。
当時の私の記憶は薄れつつあり
改めて地震の凄まじさを目にする光景が
そこにはありました。
それが断層です。
大きな地震がもたらした
地面のズレがそのまま残されているのです。
大地の偉大さというか
私達はこの大地で暮らしていて
その大地は地球であるこの大地であると
目で見て実感するのでした。
大きな地震は
私が先ほど美しい橋を渡った真下が震源地らしく
そして神戸の大火災と共に
この淡路島の大地に大きな被害をもたらしたのでした。
子供の時の記憶も同時に蘇ります。
まだ、幼稚園ぐらいでしょうか?
4階に当時も暮らしていました。
母親が灯油を入れている最中に揺れが起きました。
歩いていましたが真っすぐ歩けなくて
怖くて泣き叫んだ記憶です。
地面が揺れるとはやはり恐ろしいことです。
名前を呼ばれて
母親に抱きしめられた記憶が
ほんの少しあります。
多くの人が大地の揺れを感じ
様々な思い出があるこの地震の時間
現在大阪に暮らしていますが
時折、出会う人に当時の話を聞くことがあります。
タンスが倒れた話を耳にしたり
その後に、神戸の知り合いのところへ
物資を届けたりの話を耳にしたりです。
そんな時ほど
人の支えあいや繋がりが大切だと身に染みます。
日本は地震大国と昔から言われていますが
それでも、大きな地震には恐ろしさを感じずにはいられません。
現在もスマホでは
日本で起きている地震もすぐ目にする事ができます。
揺れが来る前に連絡が来るアプリも沢山あります。
この断層を見て
19年前とは言え
大地で暮らしている私達は忘れてはいけない
身近な歴史であると改めて実感したのでした。
ちょっぴりリアルな画像ですがすいません。