2016年2月24日
Instagramを再び始めました。
FacebookもBlogもですが
肩書や名前仕事を背負っているので
自由にしていますが、それでも窮屈さを感じます。
もっと気楽に…
アップしている人の投稿が楽しいものは?
Instagramは前から友達から聞いていました。
初期にはアプリ冒険をしていて
はじめにしていたのですが、
いまいち楽しさが見えなくて辞めました。
しかし、今のInstagramは違います。
画像が楽しいと感じる人には良いかもしれません。
そして、現在
友人でLINEと写メを覚えて楽しいと話していたので
FacebookではなくInstagramを薦めました。
それはもっと気楽に匿名でできるからです。
それでも初心者には難しかった様でした。
でも知り合い同志で公開メッセージは楽しい。
そして知らない人をフォローして画像を見たり
海外からフォローされたり、ハートをもらったり。
繋がりとは不思議。
(これも縁?)(笑)
世界と繋がるのは楽しいものです。
この現代ならではかもしれませんね。
最近では様々なアプリを通して
世界の人と繋がっています。
ん?言葉はどうしてるか?って?
通訳出来るアプリです。(笑)
コミュニケーションには限界がありますが
挨拶と自己紹介をしています。
それだけでも、感覚的に世界とつながりを感じます。
そこから、
様々な職業の方や活動家と出会います。
最近想うことがあります。
人間関係で悩む人が多いものですが、
人間関係で変なことに巻き込まれることも…(私も)
噂や陰口を気にする人も少なくはありません。
(悩みはココかな?)
しかし、大阪の町中を歩くと
いつも想うことがあります。
人がたくさん行き交っています。
そう。
皆、知らない人。
数字で人口はこれほどと言われてもピンと来ません。
そこに、大阪には観光客も多い
中国語や韓国語が飛び交う街です。
道を尋ねられることも多い。
こんなに知らない人が存在している事を実感すると、
身近な数人の人間関係なんかどうでも良くなるものです。
もっと世界を…視野を広げなくては
と思うのは私だけだろうか?
様々な人間関係がありますが、
もっと視野を広げたら、
そんな1部の人との関係で
悩んだり落ち込んだり
大切な時間を費やすぐらいなら…
気持ちが揺れて沈んだりがもったいない。
なんて思うのは私だけだろうか?(笑)
こんなに便利で
素敵な時代なのに…。
私達の心の弱さには
誰もが持つ孤独があります。
しかし、その孤独は、
価値観の似た人を多く
別々の関わりで持っていると
何かしらと分離感や孤独感を感じない
と話をしています。
友達は1人では良くない。
(依存してしまうからです)
友達は違う場所に数人必要で
その友達は時間の共有で
情報交換が出来て
お互いを磨き高めあえるものかもしれませんね。
最近関わる人は
わからないことは素直に「教えて!」といえる関係
そして答えられる関係であるからこそ
永遠に仲良く出来るのかもしれません。
現在関わる人は、とても話題豊富で時間が足りないほど…。
素直で正直な意見や
情報を伝えあうことがお互い出来る人との
関係性が本来の友達なのかもしれませんね。
画像UPを楽しみたい方
綺麗な画像や好きな楽しい情報なども
Instagramをおすすめです。
2016年2月24日
私が離婚したきっかけの一つに
体調不良がありました。
いろいろな事があり、
大阪に引っ越して新しい生活を初めて
少しずつ体調回復してゆきました。
現在の私を知る人は
きっと想像もできないと思いますが
眠り続けていた時期があります。
(このまま朽ちるのかと思っていた時期)(笑)
そして、なぜか回復し始めて
始めたのが、体力がないので
太極拳でした。
週に1度の住吉体育館でした。
当時の私には動きについて行くのがやっとでした。
呼吸も乱れるほど全身から気が
高まっているのが感じられる数ヶ月でした。
ふぅふう言いながら習っていました。
しかし、1年も通い続けていません。
仕事が忙しくなり、太極拳は何処へやら…。
習い事は気学もしていましたが出来なくなりました。
…
それから月日が流れ5年が過ぎました。
気がつけば、町中で暮らして早5年。
その間、様々なジムに通っては遠のくのです。
ゴルフ場がついていたり
クライミングがついていたり…
しかし、遠いと通えない。
(どんだけめんどくさがりだろう)
それでも心拍をたまに上げないと
呼吸器系が弱るので、ランニング。
近所の24時間ジムに登録しましたが
それでも足は遠のく。
(ダメ人間)
時間が足りないからなのか?
とにかく、何かとバタバタしていて時間は過ぎるのです。
(言い訳)笑
現在は、水墨画とかな書を習っています。
そのかな書を習っているビルのジムへ…
そこには
ピラティス・太極拳・ボクシング・フラダンスが
スタジオでおまけであります。
私が目に飛び込んだのは太極拳。
先日2回目太極拳をしました。
1時間なのですが…
あら?
ゆっくりに感じるのは?なぜ?
そして、手と足・首の動き全体が
前ほど戸惑いません。
過去の経験はしっかり生きているのです。
太極拳は気の流れを表現しています。
そのせいなのか?
数時間後のワンコの散歩では、
指先は寒くても
身体は寒くないのは
太極拳のおかげかな?と思うのでした。
激しい運動ではないですが、
身体は温まっているのを感じるのでした。
私は様々な習い事に挑戦しています。
なんでもですが、やってみないと
向いている向いていないが感じられないからです。
そのタイミングも大切ですし
人に言われてするよりも、
きっかけはやはり自分から気になるからのアクションです。
時間をどう使うのか?
習い事を、損得で考える人もいますが
何かに夢中になっている姿は
何者よりも輝いて見えるから私は素晴らしいことと思っています。
(人に言われてしていないなら…ですが)
「そんなのして、どうなるの?」
そう言う人もいますが…
それって、やってみないと誰も未来はわからないですよね。
自分の可能性を
見つめる習い事だといつも思っています。
秘めた可能性は無限大だと思うのは私だけだろうか?
今年も、新しいことに時間のある限り挑戦です。
2016年2月20日
人の心の中にあるメンタル。
心理学でもあり、自分の内面を見つめたり
周りで関わる人の話を聞きながら
自分以外の心を感じることもある。
人の表層的な心を勝手に見つめるのではなく
語ることで
見えない部分の核心を感じられるのが楽しい。
やはり相手との信頼関係の中で
対話で初めて知らなかった1面でもある
見え知る部分。
メンタル相談だけではなく
仲良くなる友人との対話は実に学びが多い。
直接、どうして?なぜ?と聞くことが出来る。
そこには、仲が良いけど知らない素顔が
何年過ぎても見える事がある。
それが、のちに学びになる。
枠にとらわれない
個性の奥深さを感じます。
日常の偶然の出逢いからでも見えます。
街で知り合いにばったり出会った時
貴方はどうするだろう?
実はここにも不思議な心理があります。
「知っている人に偶然よく出会う。」と言う人と
「全く偶然に知り合いと会うことはない。」と言う人
偶然はとてもミラクルです。
確率的にすれ違うことは奇跡でもある。
(たとえ近所でも…)
しかし、知り合いを見つけられる人
そうじゃない人がいる。
私はどちらかと言えば、
見つけられない人である。
答えは簡単です。
人の顔を見て歩いていない。(笑)
通常人に興味が無いのかもしれませんね。(笑)
(ある意味無防備ともいわれています)
そんな私も近所で声をよくかけられます。
突然でびっくりもしますが、嬉しくもあります。
しかし心は戸惑ってしまい、
本心での素顔が出てしまうものかもしれませんね。
その驚きが、言葉にならず…
「おはよう!」なのに、
「こんにちは!」と言ってしまったり
「こんばんは!」のはずが、
「こんにちは!」と口にしてしまう。
その次が言葉に出てこない!
これが又恥ずかしい。
コミュニケーション力の弱さなのか?
癖か?
それとも、気を抜きすぎていたのか?
(他事を考えて、心は動揺・プチパニック)
同じマンションに住んでいる
外国人のPさんは、突然良く会う日があります。
多い時は1日に3回の日もある。
しかし
全く遭うことがない数ヶ月もあります。
(それも実に面白い)(笑)
5秒違えば全ての流れが変わるのです。
しかし外国人の彼女は、突然出くわしても
「おー!こんにちは!」
「元気にしていますか?」
「最近どう?」
様々な質問をいつもしてくれます。
どんな状況でも言葉が出てきます。
季節のことや、日本での行事
「週末はどこかへ行きますか?」
「あなたの友達は元気ですか?」
「楽しいことがありましたか?」
コミュニケーション能力は桁違いに感じます。
彼女からしたら、日本人がいかに無口で
挨拶のできないシャイな人種と思うのかもしれない。
こんなブログを書いて
一時休息でスタバにcaféに出かけたら
偶然にもそのPさんと道で出逢いました。
偶然はやはり不思議です。
私が引き寄せているのか?
それとも出来事が私を引き寄せているのか?
そんな偶然が多い。
話を戻すと…。
私といえば、おはよう!こんにちは!…。
次が浮かばない。
(はずかしい)
外国人だからかな?とおもいきや…
偶然コンビニでこんにちは!と声をかけられても…
驚きと、誰だか初めはわからないし
「こんにちは!」と声をかけ返しても次が出てこない。
何たるボキャブラリーの無さ
そしてとっさの自分の心の動揺たるものはない。
ワンコは、楽しいとしっぽがブンブン揺れます。
「かわいい〜!」「たぬ〜ぅ!」
誰か知らない人に呼ばれても、知り合いに偶然会っても、
しっぽが左右に揺れて飛び跳ねて相手に駆け寄ります。
喜びがわかりやすい。
その逆も同じ。
しかも、私が気がつくよりもワンコは
どうやら人を良く見ている。
香りか?視力か?聴覚か?
人を判断している。
いかに私は
目を使わないで日々過ごしていることがわかる。
無防備で歩く日常
無表情の私はきっと怖い顔をしている事だろう。
若い時から、怖いと思われていた。
だからといって、
ニヤニヤして道を歩くわけにも行かない。
観光に出掛けては、
いろんな人と語り楽しい時間を過ごします。
が、しかし日常はどうしても
気を抜いているような気がしてならない。
そして、
何かしら失礼がなければいが…と思う今日このごろ。
そう。
メンタルは日常の中で様々なシーンで見えますね。