2012年5月25日
先日、
「田中さんはしっかり自分の意見を持っている方ですね。
それで安心しました。」とメールを頂きました。
それっていい事なのか?は、さておき
本当に安心していいのか?も、さておき
自分の意見があるとは、どんなことなのだろう?
確かに、長年生きていると
自分の独自の考えを持っている人は多い
身近にも私とは違う考えを持っている人がいる。
年令を重ね、経験があるからこその方
若いけどしっかり芯をもった青年
本心を言い合えば
時々ぶつかり合ったりもします。
でも、いい発想も見つけられたりします。
私の考えとはなんだろう?
当然のように過ごしているけど
当然のようにNOと言ったり、YESと答えたり
頑固たる何かを信じて生きているのかもしれない。
その何かを自分自身で信じる姿の
自分をも信じているのかもしれない。
客観的に
考えや信じている部分を見つめていました。
考えとは
哲学的な部分なのかもしれないけど
信じる何かがある人と
無い人は大きく違うのかもしれません。
自分を信じる事が出来る人と
自分を信じられない人
自分が好きな人と
自分が嫌いな人
他人である人が好きな人
嫌いな人
人を信じれる人と
信じない人
どんな人が好きで、どんな人が苦手なのか
それさえも考えなければ
見えない世界かも知れないですね。
私の考えは正しいかどうかわかりません。
それは現実で行動してみないとわからない。
結果は現実でしか見えないからなのですが、
しかし、その考えが全て正しい訳でもない
間違っていれば修正しなくてはいけない。
修正するには間違いに気が付かなくてはいけなくて
気がつくには、現実でつまずく事。
おでこをどこかの角でぶつけて
そこに出っ張りがあることに
気がつくようなものなのかもしれない。
自分はこうあるべきと意見(考え)が見つかった時
自分の信念や信じる核にある芯が
出来上がるのかもしれませんね。
どうやら私は芯からバームクーヘンのように
年輪が出来上がっているのかもしれません。
最近、頑固とか言われます。
嫌味なおばさんや
おばあちゃんにならないようにしなくてはいけない。
何時まで経っても
気をつけなくてはいけないことは
山ほど出てくるものですね。
2012年5月6日
若い時は、
葛藤や矛盾、不安がいっぱいでした。
感情といえば、やはりマイナスな部分ばかりです。
懐疑心、不信、不安があれば、嬉しいはずの出来事も
素直に喜ぶことさえ
表現だけではなく感じられなかったかもしれません。
一番ひどかった時は、10代の頃かな?
人に対してだけではなく
今思えば、自分自身に不信や不安、
自信など全くなかったんだと思います。
それが、人に対しても
感じてしまっていたのかもしれませんね。
若いころは誰もが同じなのかもしれません。
自分がどうあるべきか?
自分はなぜ生まれたのか?
なぜここにいるのか?
そんな深い部分まで見つめたりもする
そんな時は、誰もがあるのかもしれません。
心の深い問いに対して
答えを求めたりもする人も少なくありません。
何かを探し求めて心を追求したり
スピリチュアルな精神世界に答えを探したりもあると思います。
感情は、気が緩むと溢れやすくなります。
一人の時や、心を許す、許せる人など
言葉よりも心は反応します。
怒りや葛藤、矛盾や不安なども出やすくなります。
でも、忘れてはならないのは
感動の涙や喜びの感情
思いがけない出来事の中に
喜びや感動はどこにでもあります。
現実の中に常にあります。
些細なコトですが
私がびっくりしたのは
子供のためにディズニーアイススケートショーを
夏休みに連れて行った時
子供より感動していたのは私でした。
元々、頑張っている人には弱いのですが
このステージの為にどれだけ
オーディションをクリアして
そして練習をして
人生をかけてこのステージに立っているのか?
そして、観客を魅了する。
感動すると涙が出ます。
涙が溢れます。
感情がこみ上げて来てウルウル
なんで涙がでるんだろう。
そんな疑問を感じつつ子供にバレないように
涙が流れる前に戻そうと努力する自分がありました。
そんな自分の姿を思い出します。
隠そうとしているだけ、素直でない私がいますね。
お恥ずかしい話なのですが、
嬉しい時
感動した時
そんな素敵な瞬間だって感情は溢れる。
私たちはいつしか
感情や涙をこらえてしまうことが大人だと想っている。
本当にそれが大人なのだろうか?
子供の時から泣くことは
恥ずかしいと教わっている。
でも、その涙で
何かが伝わることもあるかもしれない。
もちろん
大人だから場所も立場もあるけど
それ以外は素直でいられたらと思います。
心の扉を開いてもらえる職業だからこそ
私も心の扉を開いていたい。
そう想うと、感情豊かになってしまいますね。
年齢的なのかな?
些細な事で感動したり喜んだり
頭で考える前に感情は出てくるものなんですね。
心は正直なのかもしれません。
YESもNOも感動も喜びも。
人の優しさや温もり
自分ができる事。
理解してもらえる喜び
信頼出来る仲間や友達。
まだ沢山あるけど、
その部分にいつまでも感じていたいですね。
溢れる感情。
2012年5月2日
15歳からバイトで世間の川の流れに出ていました。
社会に出ることは
今だから見えるのですが、
人の流れの中に入ってゆく事なのかもしれませんね。
バスで通勤していた時は
揺れるバスから眺める一般車を見て
自由に音楽のリズムに乗っている人や
おにぎりを食べる姿を見て
車で通勤できる人になりたい。と願いました。
そして車の免許を取りました。
毎朝決まった時間に出かけていると
自由な時間に出かける人になりたいと願いました。
自由な時間に出かけられる人になると
自宅で出来る人になりたいと思います。
そして、自宅で気がついたら出来る事をしていました。
すると、規則正しい自分に憧れました。
それが出来る自分なのだろうか?
そして、偶然ですが時間を決めて現在出かけています。
結局1周しています。
10代の頃
早朝からカフェのウエイトレスをしていた時期があります。
ほんの数カ月です。
仕事の前にカフェしている大人を見ていました。
新聞を読んでいる姿
カフェの味を楽しむ人達。
仕事前に気持ちを整えて出てゆく人
早朝ミィーティングしている人も・・・。
ノーメイクで毎朝決まった時間にやってくる女性も
すごくかっこいいな。と思いました。
気持ちを整えたり
今日の1日の始まりに使うお金と時間
無意識に憧れていたんだと思います。
現在、規則正しく出かけて
気持ちを整えて午前中を有効活用する
朝活って自分の時間をどう使うかなんだけど
どうしたいのか?
それがあって自由にできる
心地よく出来るものなのかもしれませんね。
現在
早朝出勤していますが、まったく負担はありません。
それはしたかったタイミングだからなのですが、
10代の時は嫌でした。
したいように出来ることが
心の自由なのかもしれませんね。
まず、始まりはやってみて
そこからどうしたいのか?どうあるべきか?が
見えるものなのかもしれませんね。
今、私は人に合わせて早起きしているのではなく
自分は、規則正しい生活がし続けられるのか?
そんな試しをしています。
大人になると、誰も注意してくれません。
仕事のしすぎですよ。とか
時間を大切にしなさいとか
それは間違っているよとか
だらだらしていませんか?など
誰も言ってくれません。
きっと、誰かに言われたら
ムカっと来たりもするのかもしれません。
こんな性格だから…。(^^;)
自分で自分を律したり見つめなおす事は
永遠に大切なのかもしれませんね。
自分の人生だから…。
生活スタイルは
今の自分に合ったものがみんなあると想うんです。
これからの時代は
きっと縛られる事の無い自由スタイルの中に
発想や能力を生かせるヒントがあると思うのです。