2011年9月9日
心は目には見えない。
でも、その心が
何かに表されている事は多い。
自己表現での中でのアートは
そのものかもしれない。
音楽を奏でる人達も…。
その他にも沢山ある。
では
日常の中で私達はの
心は表現されていないのだろうか?
心のお話を聞いたり
心の話をしたりの私だけど
その言葉以外でも見える事がある。
本人には気がつかない
その人の些細な心の様子。
無意識で送っている生活の中に
それは見える。
もちろん
日常の中での言葉や呼吸
挨拶の文章の中にも
歩き方や表情、しぐさ
動き、視線。
どんな所にも
その人の今の心は
何かを伝えようとしてる。
それは冷静な判断で
客観的に観察していなければ
見つけられないのかも知れない。
日常の様子を知っている人
だからこそわかる視点。
だから仲間や家族はいつも見つめてほしい。
傍にいる誰かの心の様子を・・・。
お互いが・・・。
自分では気がつかない事も多いから・・・。
人は様々な部分で影響を受けている。
良くも悪くも心も揺れ動いてる。
心は見えないから
どうでも言い訳じゃない。
心は見えないから
隠せるものじゃない。
心は形が無いからこそ
感情や表現や態度や浮かぶ言葉に隠れつつ
見えている。
わかる人には・・・。
心が落ちている時
心が弾んでいる時
心が動揺している時
隠しているつもりでも見えているんだと思う。
でも隠し続けていると
麻痺してしまい感情が
溜まって
突然切れてしまったり
突然の衝動になるのかもしれない。
だって心は見えないけど
皆 ちゃんとあるんだもん。
心はきっと誰かにわかってもらいたいんじゃなく
自分にわかってほしいだけだと思うの。
本当の自分の気持ちを・・・。
それが自分を大切にする事でもあるから。