2011年8月5日
自分の性格が時々分からなくなる事が
誰もあるのではないだろうか?
私も時々見失う。
人に合わせていたり
人を重視していたりすると、あっという間に
自分らしさは消えつつある。
自分の為に時間を使う。
自分の為にお金を使う。
自分が楽だと感じる人に合う。
自分の気持ちに素直になる。
今の自分を認める。
それって全て自分が認識していないと
何のためなのか?何を求めていたのか?
何故こうしているのかさえ分からなくなる。
自分らしさは保っていたはずなのに
気がつけばかけ離れてしまっている事さえある。
全て自分を中心にすれば
それも自己中心的で醜さが増す。
きっと、人との調和の狭間で
何が好きで何をしたいのか?
自己認識のなかで理解しながら
ほんの少し自分の為の時間を必要としているのかもしれない。
誰もが心の自由を求めている。
もちろん私自身も同じ。
でもいつしか勝手に心の自由に
「ねばならない」「でも」「だって」の鎖を
自分で繋げている。
こんな私でさえ。
美容院にいったり
歯科医でピカピカに磨いてもらったりするとふとおもう。
自分の時間を使っているんだな〜と。
自分の為に。。。
自分らしさって
関わる人で見えてきたりもするような気がしてならない。
自分を映す鏡のように…。
2011年8月1日
先日 フェイスブックでメッセージが来ました。
「怒ってる?・・・・」から始まるメッセージ。
はじめは戸惑いました。
名前
似ているけどあの人かな?
なんだか暗号の様なメッセージ。
私にしか分からないメッセージです。
その方は
私が10代の時の同僚(量販店)であり
モデルになる前に当時は趣味で写真を撮ってくれた人。
いつしか
私は本当にモデル事務所に入り
彼は東京へ行きプロのカメラマンになった。
時々電話で話したり
数年に1度居酒屋へ行ったりくらい。
ある時
私は久々の電話でセラピストになる。と言ったのか?
セラピストになりたい!と言ったら
彼は「そんな甘いものじゃない!」と怒っていた。
そしてその後連絡は無くなった。
そんな関係のままだったのです。
(私が勉強をしていた事を話してもいなかったのも原因のひとつ)
反対した唯一の一人です。
偶然とは不思議なものです。
もちろん
私もその言葉で火がついて
悔しさから「絶対になってやる!」と
心に決めた気持ちが蘇ります。
もちろん「甘いものじゃない」の言葉はいつも常にありました。
それから事務所を借りて
ひとりコツコツとモデルも辞めてやっていました。
そして今
一人には限界がある中
手放そうとしていたテキスト(まとめていたもの)が
先々月 出会った方の絶大なる力添えで
一般社団法人日本メンタルセラピスト協会と言う形になったばかりなのです。
(登記できたばかり)
そんな中
「そんな簡単なものじゃない!」と言った知人と繋がる。
実は「怒ってる」のメールに
「怒ってないよ。おかげで励みになったよ。」と伝えられました。
そう言えたのは
今回の協会を作ったばかりででもあるからかもしれない。
その協会は
過去の私の様なセラピストになりたいと思っている人に対する
検定試験やスクールだから…。
今だから分かるんです。
なぜ、その彼が「そんな簡単なものじゃない!」と言ったのか。
心は奥深くて、危険でもあり大切だから…。
それをこれから伝えていこうとしているその瞬間の私なんです。
不思議な偶然があるものです。
今年は特に不思議です。
もちろんフェイスブックのアルゴリズムでの
知り合いかも?の欄は神業に思えてならない。
縁であるタイミングまで偶然を引き起こしている。