無意識から見えるその人の心

2011年9月23日

こころは見えない。

見えないからこそ相手を観察してしまう。

表情や全身の動き

呼吸やその人の言葉を

より理解出来たらと・・・

 

そう向き合っている。

 

その姿勢が癖になると

仇になることがある。

 

その姿勢はあくまでも

本当にセラピストとして

必要としている人のみ受け入れられる。

 

ついつい

身近な人に対してしてしまうと

嫌な部分まで知る事になる。

 

深層心理が無意識となって表現される。

 

本人も気がついていない部分が表現される。

 

些細なそれに気づいてしまうと

時には何とかしなくてはと思い

時には手放さなくてはいけない事がある。

 

時々それに気がつかなければいいのにと

自分を責めることがある。

 

人に対する相談も実は同じものを抱いている。

 

何かに気がついて葛藤する。

 

これでいいのか?と。

 

人の言葉や自分の環境など

何かに気がついて問う。

 

それに気がつかなければそれでいいのに・・・。

 

気がついてしまえば

どうする?と問われる。

 

もちろんどんな選択もありだとは思う

 

それでも

自分に問う。

 

時には感情を揺さぶられて

自分を責めることもがある。

 

人生はいろいろ選択と決断で試してくる。

大切な時間を使って人は流れている。

 

人が無意識になった時

心の奥底の声や叫びが隠されている。

 

きっとそれは

目を開けていても起こる瞬間を見逃さない人にしか

わからないのかもしれない。

 

 

感受性の高い人や

いつも意識を保っている人ほど

意味や理由などクリアな目で

意識が起きている人は誰もが気がつく

シーンなのかもしれない。

 

人は無意識の時が

起きていてもある。

 

見えない心は

見えないからこそ

感じる事が何よりも大切です。

 

でも本人も感じる事が出来なくなると

その本人の心は感じてもらえそうな人へ

時々無意識の瞬間に訴えているのだろうか?

 

受け取っても

本人が受け取れない時は

いつも「ごめん」と心の中でつぶやいてる。

 

見えない心を伝えるにも

限界があり無力感を感じる。

 

結局 いつまでも学びは続くのですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

誰もが持つ天命

2011年9月20日

ここ数日
天命と言う言葉に
触れている。

偶然何度も…。

偶然は必然?

ただ自分がそこに
敏感なっているだけなのかもしれない。

天命とは
天からの命令なのか?

改めて調べてみる。

「生まれた時から定まっている運命。
宿命。
天から授けられた寿命。 天寿。
天の命令。天から与えられた使命。」

やはり
天からの使命である。

時々自分でも不思議な事が起きれば
何か見えない力がどこかにあるような気がする。

その見えない力とは
心も同じジャンルに思える。

心も見えないから…。


天からの使命はきっと誰にでもあり
そしてその使命はひとつなんかではないような気がする。

もちろん誰かと出会う事や
誰かと話す事も含めて
人としての使命も
沢山誰もが持っているような気がする。


人によっては
人を愛する事が天命の人もいれば
愛される事が天命の人もいるだろう。

家族愛を感じる天命もいれば
人類愛を知る天命や
自然と繋がり知る人もいる。

しかし天命はひとつばかりではなく
身近な自分を中心に
広がって永遠にあるのかもしれないとふと思う。

天は天で感じられない部分を
3次元のこの地上で生活する私達に
体感してほしいのかもしれない。

人間の大切さから
この地球と宇宙を・・・
認識できるものを・・・

天命とはもちろん
何かを目的としているのかもしれない。

しかしそこには
必ず
「人生を楽しみながら」
天命に触れる事を
天は伝えているような気がする。

楽しさの中に天命の道は
あると思うから…

きっと天は人生を楽しみなさいと言っているはず。

天命の為に…。

 

受け取る心は変化する

2011年9月14日

心は移り変わる。

なぜ変化するのだろう?

そう思うのは
昨日の1シーンからだった。

現在新しい協会をみんなの力で製作しています。
そしてHPの管理・製作やブログなども沢山の人が
関わっていただいている。

その他にもいろいろ。

その中で
ツイッターの発言について
注意を受けました。

その時は言い訳をしていましたが

「でも…。だって…。」

見られている恥ずかしさの中で
ついつい言い訳していた自分。

帰宅して夕焼けを眺めて振り返る。

後からひとり振り返ると
変化していく。

意見を言ってもらえるその否定的な言葉の中には
真剣さや客観的に見つめてくれている部分に
ありがたさを感じる。

過去に長い付き合いの人から
「セラピストはそんな簡単なものじゃない!」と言われ
喧嘩した事がありましたが…。

でも実際そのおかげで
模索してがんばってこれたような気がする。

実際は上司でもないのですが
私の中では意見を言ってくれる人は
それが正しくても正しくなかったとしても
現在は上司として見つめて
なんだかありがたく受け取れています。

そうできるのは
一人では何でも限界があることを
知ったからでしょうか?

それとも
意見を持って言ってくれる人が
少なくなってしまったからでしょうか?

時には私も人に意見を伝え
それが大切だと感じれば
否定的なことを言うからでしょうか?

否定的でもその人にとって
大切だと思うから言ってくれる。
その気持ちがやっとわかったからでしょうか?

過去に人の意見が素直に受け取れず
ぶつかっていた時期があるからこそ
今の自分の変化には正直驚きます。

とげとげしさを本人が自覚していなかったけど
あったんだな。と
誰も言ってくれないまま時が流れて…


気がつけば
そのトゲはきっとあるけど
先がちょっぴり
丸くなっているような気がして…。

そして現実的には
意見がある人に囲まれてる。

意外とそれが心地よく感じるのは
学ぶ事が沢山あるからなのかもしれない。

意見を言えるその人達から…。

 


なんとなくだけど
誰にも否定的な人って人生には必ず登場している。
それで苦しんでいたり悩んでいる人がいる。
そんな時期があってもいいんじゃないかと思う。
いつか「ありがたく受け取れるその日が来る」から…。
個性を磨いてくれているのかもしれない。
なにくそ!って思える、
そんな根性試しなのかもしれないね。

 

 

 

 

田中千栄子 経歴を見る
一般社団法人日本メンタルセラピスト協会 専務理事
日本メンタルセラピスト協会HP
http://www.jmental.com/
最近心の活動に熱い関心を持たれている方がいらして嬉しく思います。
協会ではテキストも中身を見て、立ち読みをして購入くださいとしております。心を扱う人になるには押しつけの心は良くないからなんです。そんな愚痴ではありませんが、この協会の中心にある趣旨(核)がこちらの無料電子書籍です。ハーフの読み物ですが興味のある方はこちらをダウンロードしてみてご覧ください。
この無料電子書籍の後に協会が出来ました。素敵な人の協力があって検定協会があります。
書籍内のホームセラピスト倶楽部って協会の事なんですよ。進化してしまっていますが趣旨のみご理解いただけるとありがたいです。
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