2014年4月17日
週明けに電話で喧嘩になりました。
年の離れた妹との言い合いです。
16歳ほど離れた妹なのですが
今までは離れすぎて
喧嘩もしたことがありませんでした。
しかし、いきなり電話がかかってきて
自分の気持や価値観を言われても困ります。
私にも価値観と考えがあるのです。
それを説明しても通じず言い合いでした。
あまりにも失礼な言い方だったので
電話を切りました。
怒りから相手との繋がりを切断したとしても
感情が高ぶって怒りがまだこみ上げてきます。
何らかの脳内物質は噴き出している状態なので
呼吸も荒く体温も高くなっています。
電話を切った後
偶然にもLINEメールが
数人からいくつか入っていました。
返信しなくてはいけません。
ここは冷静に返すか?
どうするか?
冷静に返した人もいますが、
なにか味気ない言葉になってしまいます。
え〜い!やはり親しい人には
このまま気持ちを伝えなきゃと思い
今、こんな気分!と
怒りのスタンプと同時に
妹と喧嘩した!と伝えました。
連絡がない人もいれば、
タイミングで忙しい人もいます。
そんな中で、「話を聞くよ!」と
メッセージがありました。
その、「話を聞くよ!」の言葉でなぜか?
感情が緩んで怒りから涙に変わりました。
相手を許せない気持ちから
気持ちが伝わらなかった悲しみです。
その気持が伝わらなかった悲しみから
怒りの原因である話を
聞くと言ってくれる友人の気持ちがありがたく
感情が緩んで泣けてきました。
それは15秒ほどのことでした。
涙を拭っていると
すぐ、私からではなく
彼女から電話がかかってきました。
実は彼女も私も電話が苦手です。
ほとんど話すことはありません。
なのに、そんな時に私を心配してかけてくれたのです。
彼女の「大丈夫?珍しいね〜ぇ」から始まり
私の「聞いて!」からのマシンガントークでした。
実際は喧嘩の内容は30分ほどだと思います。
泣きながらの電話でもありません。
考えと経緯と気持ちを伝えたいので
ただ話しているだけでした。
しかし、その他の報告をしながら気がつけば4時間
きっと彼女は昼ごはんも食べずに話を聞いてくれました。
話をしていると、昨晩は彼女は何やら寝ていないとか!
そんな、状況なのに私のこの身内の話に付き合ってくれて…
後に彼女の優しさに感謝でした。
私はその感情を数人の人に伝えていました。
夜2番目の妹から電話があり
違う妹と喧嘩して聞いて!とコールがありました。
その話を聞くことができるのも、
私が感情処理出来たからかもしれません。
怒りが収まらないと、
納得がいくまで説明をしに
出かけてと考えてしまうかもなのです。
夜に知人からも電話があり、
話を聞いてくれるだけではなく
仕事柄、関わる人を選んだほうがいいという話も出てきました。
価値観の話なのですが、残りの人生を楽しく過ごす為にも
価値観が同じ人でモチベーションを高め合える人と関わらないと
時間がもったいないよ。仕事が出来ないでしょ。との話でした。
今回話ができた人は喧嘩の問題に関して
私と同じ意見の人です。
そうなんです。その日1日文章も書けず
怒りは収まったもののイライラというか心が
のんきなノーマルの状態に戻るには
4日かかってしまったのです。
怒りの次の日から
喉と鼻と少し熱も出て風邪?を引いてしまうし。
(アレルギー?)
今日はやっと文章が書ける状態です。
感情にはいくつかありますが
怒りや悲しみから
フラットの(ニュートラル)状態に戻すには
簡単ではないような気もしました。
相当、私は怒っていたのだと思い知りました。
オーラや気がほんとうにあるのなら
雪合戦のように投げつけていたのかもしれません。
怒りの喧嘩なのですから…
そして、投げつけて武器が無くなって
ダウンして治癒力や免疫力が弱り
風邪を引いた感じにも思えるこの数日でした。
その中でも、その後に関わる人の
言葉や優しさに触れて
少しずつ回復してゆく自分を感じていると
本当に関わる人を大切にしなければいけないのと
綺麗な言葉や文章を使える人でもあり
本当の想いやり、人を思う気持ちがある人を
選ばないとと思える出来事でもありました。
現実には、人の話を聞ける人は少ないです。
自分の話ばかりする人が多い中で
特に重い話は避ける人もいます。
そんな中で今回は、
共感できる話を聞いてくれる人がいて
助かりました。
「話を聞くよ!」のメッセージ1つで
怒りの感情を緩ませる
その友人に驚きです。
いろんな人の意見を聞いて
関わって…
周りの人に支えられてるなぁ〜と
改めて実感する出来事でした。
フェイスブックでも
いつも笑わせて貰える人がいます。
本当に気持ちをUPさせてもらえてる人を
大切にしなくてはと思うのでした。
そして自分も
そうあるようにと…。
2014年4月11日
奈良といえば、大仏・鹿
その他には…
う〜ん。
それくらいの知識のままの私です。
名古屋人としては、
奈良や京都は覚悟を決めた旅行になります。
(私だけかな)
しかし、現在大阪に住居を移して
かれこれ6年ほどになるでしょうか?
ありがたいことに、山歩きの友達や
ワンコ繋がりの近所の友達も出来ました。
そして、奈良は大阪から1時間ほどで出かけられます。
大阪は奈良や京都、神戸、和歌山と海も山も近いです。
そう。身近に観光地がたくさんあります。
そして、今は
なぜか?奈良に出かけることが多いのです。
地理が苦手な私には
お出かけに誘ってもらえる
知人や友人にありがたく感じます。
一人では出かけることをしない
臆病な私でもあるからなのですが…
今回も、1ヶ月ほど前に
大きなポスターを見ました。
吉野って…と話題になりました。
そのポスターは世界遺産と書いてあります。
奥千本 上千本 中千本 下千本とあるのですが・・・
その意味がわからないまま
結局お出かけになりました。
女子3人での初の吉野山
渋滞に巻き込まれながらも、笑い話を車中で過ごし
気がつけば中千本まで車は登りました。
駐車場も偶然すんなりと止められて
そこから奥千本までバスに乗りました。
奥千本から下山で中千本まで
途中様々な名所があります。
桜は中千本からは美しい光景でした。
上から見る景色は絶品です。
下千本は満開です。
最近山登りをしているので軽々と下山できましたが
やはり体力や足腰は使わないとダメですね。
若い頃は元気があれど
花を見ても感じる部分が違いました。
花より団子とはこのことです。
美しさは同じように感じれても
自然の大きさや土地の良さや
人のぬくもり、そしてそれを感じれる自分や
こうして出かけられる環境全てに
ありがたく思えるのはやはり年齢もあるようにも思います。
吉野に詳しい友達から電話があり
情報を頂いたりと…
人の厚みを感じたり知ったりもします。
それほど吉野は有名なんだと知ります。
今まで聞いたこともなかった私が
恥ずかしいほどです。
気がつけばすでに夕暮れ
桜が風で宙に舞い、
そして足元は川のように桜の花びらが
流れているようにも見えました。
家族との山歩き
恋人との山歩き
友人との山歩き
どれも違いがありますが
想い出に残る大切なシーンですね。
誘ってもらえることにもありがたく
そして一緒に出かけられる時間の共有ができることは
実は簡単なようでそうじゃないものかもしれないとも思えた時間でした。
それぞれに時間を持ち
タイミングが合わなければ共有は難しく
その中でも、お出かけや旅行などは特に
楽しくなければ、次もなくなってしまう関係です。
山歩き
四季を感じたり自然を感じる時間の使い方は
なんとなく高度な時間の使い方のような気がしました。
何故なら、体力一つで辛くなり
意識を人ではなく自然に目を向けられる心が必要で
同時にその時間を無駄だと思えない
こころのゆとりも持っていなければならないような気がしました。
大自然を感じると
自分一人の力で生きてるような気はしません。
私はこの大自然、地球の1部であり
だからといって小さくて不必要でもなく、
大切なパズルのピースの一つにも感じられたりもします。
この世界の中で生かされてる。
私も、そして誰もが…。
そんなことを思う世界遺産の一つでした。
ぜひ、お時間のある方は
心の休息に
大自然を感じてみてはいかがでしょうか。