今後活躍が期待されるメンタルセラピスト検定 認定者
現在メンタルセラピストとして活躍する田中千栄子に、「メンタルセラピスト検定資格」とは何かを聞きました。
また、メンタルセラピストを志したきっかけ、そして今に至るまでをご紹介しています。
何故セラピストをしているのか?何故志したのか?それは今もはっきりとした答えはわかりません。
ただ無意識的に心に興味があったのは事実です。本当は心ではなく人に興味があったのだと思います。
いつも読んでいた本はノンフィクションばかりでした。
真実を伝えたお話の書籍や報告などです。それでも本を読むようになったのも、いいえ読めるようになったのは24・5歳からだと思います。
大きな本屋さんを知ったのも結婚してからです。雑誌や小さな単行本がある本屋さんしか知らなかった私は始めて大きな書店へ出かけた時、衝撃がありました。
実は心理学と言う言葉も知らず、その様なジャンルも知らなかったからです。
その大きな書店に出かけたとき、興味を引いた場所は心理・哲学・ノンフィクションのコーナーでした。
子育ての時間は忙しい中にも自分の時間があります。
その時間を漢字が苦手な私は電子辞書片手に読書で過ごしていた数年がありました。
本を読み漁っていくと自分の好みが枝分かれはするものです。
見えてくる個性がありました。
そしていつしか書籍では物足りなくて、書籍から得た謎や興味は教室・学校・講演へ通うようになります。
セラピストになりたくて通うのではなく、知りたいから通うのです。
それは心理だけではなく人格心理を追求する上で催眠と出会い、本当なのか?と言う懐疑心から学ぶ事もありました。
ですから何かになりたくて勉強をしていたわけではないので趣旨が人とは違っていました。
興味が知識や情報に流れて本を読む。
そこから行動として活動をしている人を直接見たり聞いたり体験として感じる。
その先は実践になっているように、多くの人から背中を押されていました。
気が付いたらお話を聞くセラピストをしていました。
興味や気になれば何処までも探求する癖は変わらず今も続いています。
「何を甘いことを…」と思われるかもしれません。
私は出会う人の言葉を良くも悪くも信じています。
何気に言葉にした「やれるよ」「やってみたら?」などという言葉が私には現実の中でのメッセージとして動いてきた様に思います。
そしてやってみて感じる部分からどうあるべきか?現実と真実の中で模索してきた結果が現在に至ります。
ほんの小さな気持ちである「セラピストになれるのかな?」「やってみたいなぁ」はちょっぴりありました。
他者の目からの背中を押される意見で行動してココまで来たように思います。
今はやりたいからではなく、「やれるからする」。「やれる事をする」枠の中で活動しています。
よく相談で、何をすべきか?わからない人もいます。
目的や希望、目指す道を見失ってしまう時などです。
その時、私は何かになりたいではなく、「何に今、興味がありますか?」と問います。
その答えは大きな本屋さんにあると思うのです。
それと今身近な身の回りにあるもの達が個性となってやれる事を教えてくれる様な気がします。
やれる事は苦痛を伴いません。楽に出来るものだからです。
好きなジャンルでもあり得意な事でもあるからです。
偶然私は心に関してだけですが得意なのだとおもいます。
興味からできるようになったのだと思います。スポーツが得意。料理が得意と同じなんだと思います。